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朝一の仕事が


朝一の仕事がひと段落ついて店を開けるまでにコンビニへアイスコーヒーを買いにいく途中に横切る公園では幼稚園か保育園かの未就学児らが引率の大人に付き添われててんで散り散りに走り回ったりボールを追いかけたりブランコを押したり散歩途中の犬に話しかけたりすべり台から滑り降りたりしている。内心にこやかにそれを目で追っていると一人の女児がブランコの少し外側を囲う柵をブランコ側から外側へとまたぎ終えるタイミングで近くにいる数人の子らに「それじゃあわたしちょっと出かけてくるわね」と話しかけているのが聞こえる。場所の空白に自由な設定を与えたり、その設定上の世界を生きるのが子どもは本当に上手だったと思いだす。おそらく数分か数十分後にそこをあとにするときには簡単に反故にするその設定をその瞬間は強く信じ込んで生きることが子どもにはできる。わたしは皆のお母さんで妹で恋人でおばあちゃんで妻でヒロインになる。


夜遅く帰って妻の前で恐竜の物真似をする。本当に一瞬恐竜に見えたと妻は言うが、自分では自分が本当に恐竜になった気はしない。恐竜になれたらどんなにいいか。と思ったり書いたりしているのは昨日、岡崎の動物園に行ったからかもしれない。夕方の京都市動物園はここ数日で随分と強くなってきた夕刻の日差しも風がさわさわと撫でる木々の音の涼やかさを際だてるほどにはよい環境で、たぶんそのうち年間パスを買うのだろうなと思う。ミーアキャットもバクもこれからもっと好きになるのだろう。


(5/23 涌上)

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